ソウトメ タダシ   Sotome Tadashi
  五月女 肇志
   所属   二松学舎大学  文学部 国文学科
   二松学舎大学大学院  文学研究科 国文学専攻
   職種   教授
発表年月日 2022/12/04
発表テーマ 仏にならぬ身の嬉しさ――『殷富門院大輔集』方便品十首詠最終歌の解釈
会議名 全国大学国語国文学会冬季大会第126回令和4年度冬季大会
主催者 全国大学国語国文学会
学会区分 全国学会
発表形式 口頭(一般)
単独共同区分 単独
開催地名 京都女子大学
開催期間 2022/12/03~2022/12/04
発表者・共同発表者 五月女 肇志
概要 院政期の多くの歌人との交流が知られ、藤原定家にも多大な影響を与えた中世の代表的な女性歌人の一人・殷富門院大輔は、家集の中で、法華経方便品の偈「若有聞法者 無一不成仏」の十文字を一字ずつ歌頭に詠む十首の詠を残している。
 その十首目は、「仏にはならずと言ひて置かれにし我が身ぞ今は嬉しかりける」である。この歌について、森本元子氏『殷富門院大輔集全釈』では「凡夫の身こそ、(そのための勤行をしたと思えば)今となってはまことにうれしいこと」と現代語訳をしている。しかし同集では、女性である作者が日吉神社の石橋を女性であるが故に登ることができないことに対する口惜しさを述べたり、光明皇后を詠んでおり、「仏にはならず」は、変成男子でないと往生できないと仏教で説かれる女性を指すと言えよう。このような異質の釈教歌に見える感情は、俊成卿女作者説が見直され、大輔と世代の近い者の作とみなされる『無名草子』に見える、歌人として女性が評価されがたいことへの思いと通底する。
 また、大輔は薩陀王子の捨身飼虎を讃えつつ、先行歌の表現も踏まえ、形容詞「かなし」の多義性を生かして残された王子家族の悲しみまで詠んだ「今はとて衣をかけし竹の葉のそよいかばかり悲しけりけむ」という歌を残している。単なる讃仏で終わらず、捨身の行為がもたらす悲哀の感情も和歌の中に明確に表現しようとしているのである。
 このことから、「仏にはなら」ないという「我が身」を「嬉し」いと捉えるのは、今生での愛惜を安易に捨て去れない人間のあり方とそれを描き出す言葉による表現の力を否定しない立場の表明と考えられる。以上の解釈を踏まえ、女性と仏教のあり方を探求していった大輔のこのような姿勢が、同時代を席巻した狂言綺語観ともつながる発想であることを、同時代の文献等も踏まえた上で、明らかにした。